吉沢貫達

 

版画家であり父である
”吉沢貫達”の気持ち


by 吉澤 実

父、貫達は仏教版画製作は自分一代だけで十分という考えを生前から知人や友人、そして家族にまでも話していました。そういう父の考え方を聞かされていたので、息子である私も二代目になろうという意気込みもなく、結局他の道に進んでしまった訳です。

特にお手伝いすることもなく、第三者のような気持ちで毎日毎日版画製作に打ち込む父の姿を感心しながら見ていたことを記憶しております。父はサラリーマン退職後のほぼ23年間を仏教版画製作一筋に時間を費やしておりました。

お釈迦様の教えの素晴らしさを何とかしてうまく伝えたい、仏教の為に貢献したいという強い気持ちが仏教版画製作という幸運に出会い、サラリーマン退職後のほぼ23年間のライフワークとして大成することができたのも、天から仏様に見守られていたように思えてなりません。

思いを達することができた父の喜びと充足感はこの上ないものだったと思います。さらに驚かされたことは「自分が亡くなる1週間前までこの仕事をしていたい」と父が生前よく言っていたのを覚えておりますが、正に死ぬ数時間前まで彫刻刀を持って版画製作を続けていたことなんです!このことは母と家内と私が実際に目撃した証人です。

父の願いが見事に叶えられた一幕でもありました。版画家「吉沢 貫達」が仏教版画製作に心が傾いていった訳


by 吉澤 実

版画家として身を立てることができました父、貫達は戦争経験者でした。昭和20年8月15日、日本が太平洋戦争で敗北し、終戦を中国で迎えた父は戦いに負けた日本のこれからを考えた時、仏教は”人の世の救いの灯火”と強く心に感じ取ったようです。

そして偉大なるお釈迦様の教えを沢山の人々に解りやすく伝えるにはどうしたらいいか?そして仏教を身近に感じ、少しでも親しみを持ってもらうにはどうしたらいいか?と真剣に考えたそうです。

ただ仏教の為にお役に立ちたいと言っても、すぐには答えを見つけることは出来ず、まずは生計を立てることを第一に考えなければどうしようもない状況だったわけです。

そのためまずはサラリーマンで身を立てることを決心し、20数年間のサラリーマン生活に別れを告げ、版画家の道を歩むことになりました。父はお釈迦様の教えや信仰の対象である数々の仏像を版画で表現しようと考えました。

元々デッサンや水彩画等が好きだったので、サラリーマン時代にはよく地方に出かけ風景のスケッチをしたり、海外出張の折には写真を撮るより絵を描くことのほうが好きだった父でした。
それが功を奏し、版画製作の勉強を真剣に考えるきっかけとなったようです。

そしてついに定年の2年前に会社を退職し、本格的に版画製作の為の準備に入っていったわけです。